Uganda Day94

9時にD大学の学生さんが泊まっているホテルでゼミをするということでそこまで徒歩で行くことに。ロレックスを買うつもりだったのに、現地のおばちゃんに捕まり、道が同じ方向だったので身の上話をしながら共に歩いた。途中で少年がサモサを売っていたのを買った。(中身は豆だったが美味しかった)

 


今日はホテルの会議室に缶詰になってPCM(Project Cycle Management)という方法で、昨日インタビューした農村の発展や課題を考えていくゼミらしい。こんな素性もよくわからない者も参加させてもらって、難しかったが、なかなか勉強になった。

 


最初にコアになる問題を考え、その効果と原因をどんどん書き出していき、分類するという内容であるが、プレゼンは基本英語で行われて、のちに2つグループに別れた。そのうちの1つに入れてもらい、少しは発言したりしたのだが、関連付けていくのが本当に訳わからなくなっていく。一番のコアはもっと野菜生産の所得を上げるためにどうするか、なのだが、その原因として、①生産量を増やす、②クオリティを高める、③マーケティング戦略を考える、とさらに小グループに別れた。③を担当することになったのだが、マーケットまで遠いとか、情報ツールがないとか、組合がないとか、農家間のミーティングがないとか色んな意見が出るには出たが、芯をついてないというか。組合があるのが当たり前、だからある程度の量が確保できる、役割分担できる、価格交渉できる、勉強会できる…などなどできるわけだ。それが全く通用しなかったら、まず何から始めるんだろう…?そんなことを考えさせられた。日本の場合、組合が足枷でもある時があるが。農薬の使い方や灌漑がない、道路が整備されていない、労働力が限られる等など問題はキリがない。ルールとして、There is no …〜が無い、というのはそこで終わってしまうからやめようねというのがあった。あるものでなんとかする、アイディアで補うことが重要なのだ。といってもあまり私は戦力にならぬまま、頭を悩まして時間だけが過ぎていった…。

お昼を挟み、午後はまとめの作業が続き、最後に両グループの代表が英語で発表。片方のグループは内容はほぼ同じだったがしっかりとまとまっていた。私たちの発表の時は私の出る幕でもないので大人しくしていたが、あまりまとまってないのに、発表を押し付けてしまったのは申し訳なかったと思った。

 


終わった後にゼミの先生と雑談をした。持続可能な社会の形成か…。今回、国際協力の現場を沢山見せて頂く機会をもらっているのだが、日本もヤバいんじゃないかと私は考えている。興味がないわけではない。現地の日本人は本当に強い人ばかりだ。ただ、やっぱり日本かなぁ、畳で死にたいしなぁ。

 


そして本日は、エチオピア料理の店。Oさんの隣でパッカー男子と旅路について教えてもらった。農協の話もした。農村留学の話とかも。生まれて初めてのインジェラもどきを食べながら。もどきとしたのは本物はもっとクセが強く酸っぱいらしい。でも本物じゃないけど、私はインジェラ、おいしいと思った。

3日間続けてナイルビールを飲んでしまった…。

 


現実を、ちゃんと見ているだろうか。本気で就職も考えた頃。それでも大学を選んだ自分。仲間たちはとっくの昔に社会人として働いている。遠回りしかできない性分なのである。ただ、自分の見てきた全ての事は無駄じゃないと思う。

 


3日間お世話になったOさんや会社の方とD大学の人に別れを告げ、宿に帰った。すげーパワーをもらったと思う。こんな人もいるんだと知ることができた。

 


土日は特に予定はないので、色々考えながらゆっくりしよう、と思った。

 

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Uganda Day93

オフィスに8時半に集合します、ということだったので、余裕を持って起きた。宿は安い割に広いしトイレシャワー付きで申し分ないのだが、トイレが壊れていて水を自分で入れないと流れない。シャワーはチョロチョロ水しか出ない。水道水で歯を磨くとドブ臭い。やっとアフリカらしい不便さが出てきたかもしれない。それでも十分リッチだ。シャワーで頭を洗って身支度し、出かける。昨日見つけたロレックスの屋台で同じものを買ってからオフィスに向かった。焼きたてのものを薄いビニルに入れるからアチアチである。

 


予定よりも30分も早くオフィスに着いたので、朝ごはんとしてそこで食べる。程なくしてOさんがやってきて、少し酪農の話をした。彼の家族は暫く十勝に住んでいた経験があるそうで、酪農のこともよくご存知であった。D大学の学生を乗せたバスが到着し、私とOさんは現地ドライバーと一緒にランクルの方に乗った。ここで色々話すことができた。我が道を行けばいいということ、批判は絶対にあるので、何が正しいとか大きなことは考えなくていいこと、やってきたことが空っぽでなければ、社会貢献はできるということ…。あぁ、こんなことを言ってもらいたかったのかもしれない、と心が楽になった。

 


30分ほど車を走らせると、メイン道路から外れ、舗装されていない道へと入った。いよいよアフリカの村々である。こんなとこ、普通の旅では来れない。改めて多くの人に感謝である。ここは十数年前、神の抵抗軍と呼ばれる反政府軍が少年兵を作り出し、身内を殺させるといった本当に血生臭い内戦をして、ボロボロになった村々をODANGOが支援している。Oさんの会社は野菜生産をメインで行っているが、それだけではなく他のフォローも手厚い。D大学のゼミ生の研究対象でもあるようで、今日は彼らにNUFLIP(Northern Uganda Farmer's Livelihood Improvement Project)というプロジェクトのインタビューを行うみたいだ。

 


少し家が集まっている広場みたいなところに到着すると、誰一人いなかった。今日来ることは伝えてあったらしいが。家の周りにはヤギやら鶏やらが自由に歩きまわっていた。本当に何もない。水は井戸から運ぶし、電気やガスはもちろんない。家も土壁と茅葺屋根である。Oさん曰く、特にこの辺りと南スーダンの開発の遅れが著しいらしい。現在では多くのアフリカの地域はレンガやコンクリの家が多いが、この辺りは内戦後に建てられたもの。農民たちはレンガの家を建てるのが目標らしい。そんなことを話していると、村の女性と男性が一人ずつ椅子を持って大慌てでやってきた。こんなに大勢で来るとは思っていなかった様子である。そしてすぐに近隣の人を呼びにかかった。すると続々と人が集まり始めた。

 


10人くらい揃ったところでインタビューが始まる。英語からアチョリ語に直してである。この村はどちらかといえば高齢の女性が多いグループで、プロジェクトの普及率はそれほど高くないらしい。笑顔の絶えないおばちゃん達を見ていると、内戦があったなんてウソのようである。しかし確実に一人一人消えない傷を持っている。そこから立ち直ろうと、経験のない農業を始めることが素晴らしいし、何もないところから自立できるようにコンサルティングしていく側も相当の努力がいったのだな、と思った。インタビューの後、小さなトマト畑を視察した。機械は無い。背丈ほどある雑草を刈り、土を耕し、畝を作り、苗を定植する。全て人力で。これは凄いことである。トイレ休憩の時に道を挟んで向こう側に牛が見えた。アンコーレではないが、牛鋤から外すようで様子を写真に撮らせてもらった。

 


そしてもう一つの村へ移動。次の村は比較的プロジェクトが成功して、農民自身で稼いだお金で、シンボルであるコンクリート製の農機具庫が村の真ん中に立っていた。日差しは強かったが木陰は涼しくて、インタビューはそこで行われた。農業グループではない少年と少し話したのだが、日本国籍はどうやったら取れるの?と聞かれ答えに困った。私はたまたま日本に生まれてその恩恵を受けて、不便な生活など想像もせずに生きてきた。それを恥ずかしく思った。インタビューの後、畑を見せてもらった。トマトの他にもメイズやキャッサバ、ゴマなどが植えられている。これらの穀物系はあまり金にはならず自給用である。野菜はちゃんとやれば金になる。2aの畑でも50万シリングになるらしい。これで子供達を学校に行かせたり、次の農業への投資や牛を買う貯金にしていくのだと、農夫は語っていた。

 


今まで先進国の農業を見てきた。有機農家はマイノリティだが、進みすぎた農業は環境を破壊するとして、生産性の代わりに付加価値を付けてもっと小規模に、という流れがきつつある。一方アフリカ。まずは生産をして所得を得るための農業へと向かっている。全く逆のことである。その矛盾がずっと私の中をぐるぐると回っている。日本はどこを目指すべきなのだろうか。

 


Oさんはびっくりするほど明るい。立ち向かっている問題はとても深刻なのに、誰に対しても親身でラフで笑顔が多い。凄いなと思う。と帰りの車で思った。

 


一度宿に帰ってから、6時半にオフィスに再度訪れ、今晩はピザ屋さんで夕食らしい。ところが、準備が殆ど出来ていなかったらしく、3人でテーブルや椅子を準備。ビールやジュースがほぼ無く、ボダボダにおつかいを頼む始末…。今日は荒れる、と誰かが言った。出てくるのは遅かったが、ピザはなかなか美味しかった。話題は青年海外協力隊の話へ。何が一番危なかったとか、そういう話。こんなこと絶対に本人しか知らないとか、本当に危険の最前線で働いているのだと知った。

 


今日も夜遅くまで楽しい時間を過ごさせてもらった。宿に帰ってすぐに寝た。

 


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Uganda Day92

同部屋の人の目覚ましが1分おきに鳴ってうるさかった。寝るなら止めろよ!6時には起きてパッキングを済ませて、水を補給、6時20分にチェックアウト。外はまだ薄暗い。本当は出歩かない方がいい時間である。ウーバーでNamayumba Bus Terminalsを探してみるも出て来ず…。仕方なく、昨日のボダボダドライバーのポールに電話してみる。1度目は出なかったが、すぐに電話がかかってきた。しかし、今違う人を運んでいるから30分かかると言われた。仕方なく彼を諦め、外に出てみると、すぐに若めのボダボダが止まった。ターミナルを知っているというので、いくら?と聞くと15000シリング。え?早朝料金?昨日7000シリングだったぞ?値切ってみたら3000シリング値下がりした。そんなもんなんだよね。

 


ところが彼、バスターミナルの場所をよく知らなかったみたいで、ボダボダ仲間に道を聞いてた。知らなかったんかい!まぁ、なんとか振り落とされず、時間よりも早く到着できたのでよしとする。発着所を確認しに行くと、客引きがどこ行くの?と聞いてくるので、グルというと、あのバスだと教えてくれた。しかし、どう考えてももう出発しそう。予定より30分も早いのに?しかも、予約チケットを見せたらこのバスは今日来ないと言われた。おかしいなぁ…。けど、本当に来ない可能性もないわけではない。今目の前にいるバスは確実にグルに行くのだ。仕方なく、もう一度料金を払い、そのバスに飛び乗った。ターキッシュなデザインで、中には既に7割くらいお客さんが乗っていた。一番奥の窓側の席が空いていたのでそこに座った。程なくしてバスは出発し、市内はトロトロ走っていたが、市外になると急にスピードを上げてきた。

 


座り心地はかね良好だった。途中で通る村々にはいわゆるSAみたいなところがあって、屋台が出ていて、ドリンクや焼き鳥やメイズ等を持った売り子達がバスが止まる瞬間に全力で走ってやってくる。私の窓は開かなくて、買いたくても買えなかったし、そんな勇気もなかった。おねだりザルも見かけた。バスの客が食べ物をちぎってやっていた。アンコーレ牛の大群も見たのだが、バスのスピードが速いので撮れず。途中のバス停でお客さんが乗ってきてバスは満席になり、私はバックパックを膝に抱えなければならなくなったので、姿勢がちときつかった。お客の持っている荷物もどでかく、よくそんなの持ち込んだなぁと思えるサイズのものもある。端っこにいる私はちゃんと降りられるのだろうかと少し心配であった。

 


出発から6時間弱はあっという間に過ぎ、結局寝てはいないが13時位にグルに到着した。どこで降りるのかもわかっていなかったので、絶えずマップで確認していたのだが、迷うこともないくらいの大きな街だった。降りると、今回お世話になるコンサルタントのOさんに電話をして、15分後くらいに迎えに来て頂けるとのこと。バスターミナル前はごちゃごちゃしていたので、銀行の駐車場で待った。朝も昼も食べていなかったので腹はとっても空いていた。

 


程なくして車で迎えに来てもらい、手続きしてもらった街の中心にある安宿にチェックイン。16時頃からD大学の学生さんに混じり、Oさんの会社のプレゼンを聞かせて頂けることに。それまでは宿で休んでいいとのことだったので、とりあえず街に出かけ、食料を探しに出た。

 


マーケットはすぐ近くにあって、中に入ってみると、活気はあるのだが、野菜や香辛料、魚などは売っているものの、軽食はみつからず。服も靴も日用品も何でも売っていて、本当に密に店々が並んでいるので迷路みたいだ。かなりストレンジャーなのだが、カンパラのマーケットよりは話しかけられなかった。さらに街中をウロつく。意外にも宿の近くにロレックス(チャパティと卵を焼いたもの)の店を見つけて、おそるおそる買ってみることに。焼いているのは私より年下であろう青年で無口だったが、ちゃんと焼いてくれた。帰り道に水をキオスクで買って宿に戻る。初ロレックスの味は超うまい!お腹が減っていたのもあり、アツアツなのもあり、屋台飯いいなぁ!と感動。1つで十分腹も膨れるし、安いし、スバラシイ。お腹を満たした後は宿で休み、再びOさんがピックアップしてくれる時間まで過ごした。

 


今回私は図々しくもD大学のゼミのスタディーツアーに3日間混ざらせてもらい、ウガンダ北部、内戦が激しかった地域で、市場型の野菜栽培をして生活向上するプロジェクトを担当するコンサルタントの方の所に潜り込み、農業現場に同行させて頂くということになっている。全て、ご好意やご紹介の上で本当に多くの人のお世話になり、感謝しなくてはならない。最初に県の建物施設を借りているという事務所に伺い、スタッフの方と挨拶した後、学生さんが泊まっているホテルの一室でプレゼンを受けた。国際協力のことには疎い私だが、内戦後の荒れた土地で農業知識が無い人達に技術を教えるだけではなく、プロジェクトが終わっても自立して、自分たちで生計を立てていけるためにはどうしたら良いか、栄養や収入の指導などのQOLのサポートも行なっており、非常にわかりやすく、熱い内容だった。咀嚼するには時間がかかるが、明日実際に農家に訪れるそうなので非常に楽しみである。

 


その後、夕食にご一緒させて頂く事に。一緒のバスに乗ってポークチョップお店へ。久しぶりに豪華な食事。ビール。美味しいのはもちろんのこと、アフリカ縦断している学生と話して盛り上がったり、Oさんの今までの経歴を聞いたり…。なんて真っ直ぐした、パッションのある人なんだろうと思った。本当にやりたいことを仕事にした人ってこういうことなんだろうな。この人に会って話を聞いただけでもアフリカを訪れた価値が充分にあったのではないかと思えるほどだった。楽しい時間はあっという間に過ぎ、ホテルの近くまで送ってもらい、帰ってきたのは22時頃。一人ではなかなか夜の楽しみがないけど、今日はとても充実していた。

 

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Uganda Day91

7時半に起きてロビーに行くと朝食券をもらったが、食べ物は既に片付けられてたみたいでありつけなかった。昨日買ったマンゴーをリッチに食べる。

 


11時からJICAウガンダ事務所で挨拶するため、10時半頃宿を出る。歩いて20分ほどだが、ボダボダに話しかけられるものの断る。大通りなのに横断歩道がないため、渡るときにはかなり躊躇する。奇跡的にスムーズに渡れてホッとする。

 


事務所ビルの入り口はセキュリティチェックがあり、エレベーターで事務所へ。訪問日や名前などを書き、中へ入れてもらった。協力隊員と現地女性が作ったアフリカンなポシェット等が売られていたのでそれを見ながら少し待っていると、所長の方々と顔合わせし、JICAのウガンダでの取り組み、特に農業分野での米の技術支援や潅水、酪農分野の事業のお話を伺った。とにかく安全に気をつけるようにとのご指導もあった。また、明日からグル県に行くのだが、マタツという乗り合いバスというかハイエースは何時発なのか全くわからないので、グル出身の現地職員の方に聞くと、バスがあるとのこと。予約しにバスターミナルにも行くことに。

 


お昼前くらいに事務所を出て、頂いたパンフレットを宿に置きに戻ろうとすると、子供がヘチマの乾いたやつを持って、買ってほしいという。うーむ、いらないし荷物になるなぁ。昨日は子供は見なかったけど、バナナ売りの女性がいたなぁ…。やっぱりこういう場合悩む。簡単にお金を渡してはいけないという意見と、きっと裏にボスとか家族がいて売ってこいと言われているのかもしれない。学校にも行ってないのかもしれない。けど英語を話したぞ?ヘチマはいらなかったが、断っても付いてきそうだったので、こんなことを言ってみる。この大通りを一人で渡れなくて困っているので、一緒に渡ってくれたらコインをあげると。人数がいたら多少避けてくれると思ったからである。ということで無事渡れたので、ポケットにちょうどあった1000シリング渡した。

 


パンフレットを置き、バスターミナルをマップで調べるも、そんな名前の場所は見つからなかった。危ないけど、ボダボダに頼るしかないか…。宿前にいた兄ちゃんに、ここ知ってる?と聞くと、知ってる。連れてく。7000シリング。え、高くないか?だって距離あるよ。分かったよ。そんな会話をして結局値切れず。当たり前だけど地理は彼らの方が詳しい。乗りながら、バスでどっか行くの?と聞かれ、グルと答えると、俺グル出身と言ってきた。本当かは分からないが、一応信じることにする。20分ほどでターミナルに着くと、客引きの兄ちゃんが、どこまで?え?グル?ついてこい。と言われるがままついていく。ボダボダの運ちゃんは帰りも送ってあげると言って、チケットを買うまで待っててくれるらしい。たくさんカラフルなバスが停まっていて、激ローカル写真スポットではあったが、とる余裕などなく。バスは外見が改造され、デコトラ並みである。掘っ立て小屋っぽいチケット受付に連れていかれ、女性と親父が座っていて、明日グル行きのバスを予約したいと言うと、座席表の紙に名前と電話番号を書かされて、お金を払い、手書きのレシートを発行。終わり。7時半発で7時には来いよと言われる。

 


ボダボダは待っていてくれた。そして明日の朝も送ってくれるというので、電話番号を一応教えてもらった。うーむ、この人に頼むべきか、本来なら宿を出る時間などは教えてはいけない(←集団で襲われる可能性があるから)のは重々承知だったが、バレてしまったので仕方ない。どこまで信用できるか迷う。帰りはスーパーに下ろしてもらった。

 


大きなモールで一通りのものが揃う。スーパーマーケットもちゃんとしており、久しぶりに物の値段が既に決まっている体制だ。お惣菜コーナーにいくと、チキンピラフや豆の煮込みなどが計り売りされていて、隣はフードコートみたいにそのまま食べれるようになっていたので、ウガンダOLに混じって買ってみることに。初のローカル飯はとても美味しかった。目の前にあったラー油的なのをかけてみたら、死ぬほど辛くて後悔したことは言うまでもない。

 


食べ終わって、買い物をしようと店内をウロウロしていると、明日からお世話になるグルの方から電話がかかってきて、明日からの指示を仰いだ。本当に今回は沢山の人にお世話になっている…。ウガンダでは牛乳がビニール袋もしくはロングライフミルクしか売られていなかった。ヨーグルトとバナナチップとインスタントのラーメン袋とコーヒーを買ってスーパーを出た。ベンチに座って折り返しの電話を待つもののかかってこなかったので、帰ることに。私の隣にいたガードマン、フツーに銃持ってたんだけど…。

 


モールからは歩いて30分もかからない。無事帰ってきて、16時くらいだった。その後は、シャワー浴びたり、朝に手洗いで洗濯したものを取り込んだり、パッキングしたり、パンフレット読んだり、youtube大学を見て過ごし、ヨーグルトとバナナチップを食べ、横になる。明日は朝が早いし、ターミナルは安全ではない。かなりローカルである。疲れそうだ…。

 

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Uganda Day90

今日はフリーの日だった。朝5時頃目が覚めたが、二度寝した。移動などの疲れからか、なんだか頭がぼぅっとして10時頃まで宿の中で過ごした。外に出たい気持ちはあるものの、気を使うことも危ないことも多いのでなかなか渋っていたのである。ようやく覚悟を決め、ポケットに数枚の紙幣を突っ込んで、携帯にはチェーンをつけて出かける決意をする。

 


天気は良かった。門番のお姉さんが扉を開けてくれた。外はバイクや車が行き交う交通は無法地帯に等しい。早速ボダボダというバイクタクシーの勧誘を受けるが、断って歩き始める。JICAの事務所は道を下って隣の道路を上がった所だった。それを確認した後、むやみに携帯を取り出したくなかったので、googleマップなどは見ずになんとなくカンパラ中心部へ向かう。歩けど歩けどあまり景色は変わりばえなく、とにかく交通量が凄まじくて、押しボタン信号は永遠に赤のままだし、目的地もなく歩いていたので疲れてきてしまった。何度もボダボダの勧誘を受けるが、そんな頃誘いに乗ることに。ナカセロマーケットまで。と運転手の兄ちゃんに言うと3000シリング。バイクの方が早く切る風が吹いて気持ちよかった。ただ、車との接触ギリギリを攻めていくので、危ないっちゃ危ない。10分くらいで到着。地元民が来るマーケット、野菜や果物、日用品が表通りに集まって、裏には肉や魚や香辛料や何やら危ない臭いがする。何故こんなところに来てしまったんだろう…と思いつつ、写真なんて撮れる雰囲気ではなく、観光客の姿は1人も見えない。むしろ肌の色が違うのは自分だけで、地味な格好とはいえかなり目立った。終始、ニーハオとかニャオ(女性の呼び方)とか、鶏買っていかないかとか声をかけられる。肉屋の後ろに紐でぶら下がった枝肉が不気味に見えた。立ち去ろうと思い、裏路地を一周しかけた時、香辛料屋に鞘付きバニラビーンズがぶら下がっているのが見えた。こんなに大量なの見たことないと、好奇心が湧いてしまい、いくらと尋ねると50000シリング。高すぎる。絶対値切った方がいい。それは分かっているし、そもそもそんなに欲しい訳でもなかったかもしれないのに、何故か買ってしまった。ここに来たという戦利品が欲しかったのかも。負け戦だったけど。

 


再び表に戻り、野菜などを見る。青年に声をかけられ、何が欲しいのと言われるが、1人で大丈夫だと断るも、なかなか離れてくれないので、バナナが欲しいと言うと、こっちの店だと言ってくる。バナナなどそこら中に売っているのだが、仕方なくついていく。きっとサクラなんだろうな。バナナはそんなに大量に要らないのに一房買う羽目に。ゴリラじゃないんだけどなぁ。あとは?と聞かれ、じゃぁマンゴーを。マンゴーはこっちの店だと再び移動。ポッケにはもう3000シリングしか残ってなく、2000シリングしか持ってないというと大きなの一個渡された。青年がこっちを見るので1000シリングはその子に渡した。

 


もう何も要らない。敗北感。値切れないし、断れないし、上手に買えない。ここはアフリカ。商売においては、大阪のオバチャンくらいじゃないと生きていけない…。と心身共にどっと疲れ、自分の勇気のなさに呆れた。ただ、もう1人の自分は別に値切らなくてもいいんじゃないかとも思う。お金は大切だけど、バニラも日本で買えば一房500円近くするわけで、10房くらい入って1500円くらいならだいぶ安い。ボダボダも小さい紙幣は持ってなかったから、大きいの渡すと、ちゃんと言い値のお釣りはくれたし、100円もしない。もちろん安ければ嬉しいけど、10円単位の額を値切る必要はあるのだろうか、彼らのフィールドなのに。と思ったりもする。

 


マーケットを後にしようとするも、商店は続きウロウロすることになった。本当にいろんな店が集中しており、野菜の種も、農薬も、機械も、工具屋さんも、探せば何もかもあるのではないだろうか。1日どれくらい売れて、どれだけ残るのだろう…そんなことを考えながら歩き回り、マーケットを抜け出した。今度はとにかく東へ向かって歩くことにした。バナナが重すぎる。よく話しかけられる。それが商売でなのか本当に挨拶でなのか見分けがつかないので、無視してしまったり、適当に返したりもした。道で寝てる人、頭にバナナを乗っけて売る人、サトウキビをいっぱいに積んだ自転車、ゴミや排気ガスの臭い、バスやバイクの勧誘…。道路は常に騒がしかった。また、店が連なるところを歩いていると、ビーサンがぬかるみにハマり、脱げてしまって、赤色の泥が足にどっぷりとついてしまった。あそこの水で洗ってけや、と目の前で昼休憩なのか固まっているおっさんの集団に言われ、洗わせてもらった。そこの水だけは綺麗だったが、あとの水溜りは汚かった。

 


今どこを歩いているのかわからなくなり、車を避けに避けていると、いつのまにか線路の上を歩いていた。地元民は道代わりに使っているみたいだが、どう考えてもスラムっぽい。ゴミがあちこちに落ちているし、掘っ建て小屋が連なっている。抜け出した方がいいに違いなかったが、線路は一本に繋がっているため、元来た道を戻るのも怪しいと思うので、自身を持った感じで歩くことにした。途中、ゴミ山にいる牛たちやヤギも見かけ、何かわからぬ食べ物を差し出された。駅が見えてきた。貨物列車もあった。しかし、私の前をずっと歩いていた頭に桶を持った青年が、アーミーっぽい人に何か言われ、引き返すのを目にし、スルーできないっぽかったので、仕方なく元来た線路を引き返す。草むらから脇道へと続く道があり、大通りの街中へ続いているっぽかったので、そっちに逸れた。

 


なんとか街に戻ったが、ここは何処なのだろう。Mapを見ればいいのだが、携帯を取り出すのは嫌だ。とりあえず喉が渇き、タクシー所の前で売り子をしている女性からペプシと水を買った。生き返る。政府系の所やカジノを通り過ぎ、電子機器を売っている通りを歩き、さらに先に何があるのだろうと、東へ東へ進んだ。もうボダボダに乗って、宿の名前を言えばひとっ飛びでつくはずなので、次話しかけられたら乗ろうと決め、歩きながらその時を待った。

 


年上くらいの兄ちゃんが声をかけてくれ、それに乗ることに。しかし乗ろうとした瞬間、バナナを入れたビニルが破れ、バナナが転がる…。あぁ、すぐ傷んじゃうだろうなぁ、鈍臭いなぁ…。宿の名前を告げると、瞬く間に道路の車と車の間を通り抜け、15分も乗らないうちに到着。私は宿の前をとっくに通り過ぎ、もっと東へ行っていたっぽい。ボダボダよ、有り難や。

 


15時半頃帰宅。水と大量のバナナ、マンゴー一個の食料をゲットした。排気ガスを大量にすい、人混みに酔い、ぐったりだ。そういう所に好んで行ったのだから仕方ないけど。アンコーレは見れなかったなぁ。町外れにきっといると思うけど。部屋で休んでいると、17時くらいからスコールと雷。もう外に出る気力もないので、シャワーを浴び、バナナを食い、あっちゃんのyoutube大学を見て過ごした。21時くらいには寝た。

 

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Uganda Day89

iPhoneのベルの音で目覚めた。6時半の約束だったのに、ギリギリで起きてしまった。大慌てで着替え、外に行くともうお迎えが来ていた。初日から何という失態…。

 


職員の方の車に乗せて頂く。まだ日が昇る前の薄暗い道路を走る。途中、職位の方のアパートで合流して、計8人でナイル川のラフティングへと向かう。

 


カンパラから少しでも外に出ると、道沿いに木やレンガで作られた家や店が並び、牛やヤギや鶏が野放しにされている。車は日本と同じ左側通行。バイクが多く、道もアスファルトになっているところもあれば、なっていないところもあり、速度制限はあってないようなものである。サトウキビ畑が広がり、積載量オーバーにサトウキビを乗せたトラックが転倒しているのを目にした。

 


途中でいわゆる道の駅的な、屋台が集まっているところに立ち寄り、美味しいと評判のチキン炭火焼きを購入する。車を停めるなり、店の売り手が、片手に鶏肉の焼き串を大量に持って駆け寄ってくる。この光景がシュールで驚いた。チキンはとても香ばしくて、日本の焼き鳥より食べ応えがあって、あ、鶏の脚だなとわかる見た目で美味しかった。

 


2時間程でナイル川のラフティングツアーをしているオフィスに到着した。軽く朝ご飯にチャパティやゆで卵を食べながら説明を受けた後、靴もレンタルして着替えて、バスで40分程のポイントに向かう。

4人で1つのボート+ガイドさん+カヌー2人というサポートのもと、いざボートに乗り込む。私たちのガイドはレゲエっぽい風貌のウガンダ人で、かなりクセの強い人物であった。ラフティングはアメリカで何故かやることになって、一度だけ経験があるが、もっと人数がいたので大丈夫だったけれど、今回は少し不安である。ただ、ライン川は川幅が広く、見たこともない鳥や青い空が広がっていて、アフリカに来たことを改めて実感した。

 


落ちる練習やパドル操作を一通り学び、漕ぎ出す。なぎのポイントが凄まじく広く、常に漕いでいる感じだったが、恋バナやおすすめの漫画、映画の話を百物語風にローテして話しながら、その場の気を紛らわした。落ちるポイントで一瞬視界が真っ白になったと思うと波を被り、なかなかエキサイティングだった。途中、パイナップルやビスケットが配られて休憩しながら、なぎのところで水に浸かってみたりしながら、レベルが高いところはボートから降りてスキップしたりしながら、14時ごろに下川。漕ぐのは大変で、岩につっかえたポイントはあったが、初日から大自然を感じることができてとても満足した。

 


またバスに揺られてオフィスまで40分。見たことないアフリカのジンジャエール的な飲み物は喉がポカポカするほどスパイシーで気に入った。オフィスに戻ってから着替え、ランチを頂いた後、再びジンジャからカンパラまで戻る。途中、ケニア発のコーヒーショップに寄ってアイスコーヒーを買ったが、欧州で飲んだのとは違う独特の味で、私はこっちの方が好きである。少し酸っぱめでスパイシーな感じ。ウガンダはコーヒー豆を作っているらしい。道路沿いに時々、水を運ぶ子供達や、野菜を売るマーケットや、角がとても大きいアンコーレ牛などが見られ、色々なことを思った。

 


宿まで送って頂き、ビスケットをかじってシャワーを浴びた。ちゃんとお湯出た。6人部屋のドミトリーで、昨日いたらしい2人はもう出て行ったらしく、今日は私しかいないっぽいので安眠できそう。日焼けのヒリヒリを多少感じながら眠りについた。

 

 

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Kenya→Uganda Day88

ケニアに着いたのは朝の5時。トイレを済ませて落ち着いてからアライバルビザの書類を書く。ケニアに宿泊する予定はないから、地球の歩き方で紹介されているホテルの連絡先を書いておいた。最初に怖そうなお姉さんの審査官の人の所へ。何日滞在するの?えっと、トランジットで今日ウガンダに行くんですけど…。顔行きが曇る。なんだか聞き取れない英語を言われて分かったふりをしたのはいいものの、突っ立ていることしかできず。このままでは入れないと、もう一度並び直して今度はおばちゃんの所へ。何日滞在するの?19日までです。どこに行くの?えーと、ナイロビとモンバサと…。OK、じゃ休日を楽しんでねー。終わり。ありがとう!おばちゃん!

 


バッゲージは既に大半の客が去った後で、私のだけくるくる回っていた。それを手にして、Departureに行くために一度、空港建物の外に出て並び直す。武器の持ち込みか何か知らないが、チェックインカウンターの前に荷物検査。引っかかる。何かマシーンが入ってるんじゃないか?ラップトップしか入ってないです!と言い張り、通してもらえた。よく考えれば、チーズカッターとおろし金ってマズイかなぁ。ま、通れたからいいや。

 


そしてチェックインカウンター。地獄のように並ぶ。進まない。1時間半近く並んでようやく私の番。オーバーブッキングを重ねに重ね、最初7時だったはずの便が12時55分の便になるという。7時の便は結局は乗れなかったんだけどね。フードバウチャーと書かれた手書きの紙をもらったが、カウンターのお姉さんが破るのをミスって亀裂が入った紙を渡された。食堂っぽい所に見せたら、使えないって…。なんなんだ一体。ただ、wifiは自由に使えたので、日記の更新をして過ごした。

 


お腹減ったよ…と思いつつようやくフライト。ちっちゃなサンドイッチが機内食で出た。フライトは1時間ほど。これを降りたらウガンダである。

 


ウガンダに着いたのは14時頃だった。空港ではトラクターが大活躍である。飛行機からアライバルまで地面を歩く。ウガンダのイミグレーションである。オンラインビザを取得していたので、並ぶのは時間かかったけど、それ以外はスムーズだった。そしてUSドルをウガンダシリングに替えて(ユーロでも両替できたんじゃん!)、simもだいぶ並んだ上にようやく手に入れて、いざ出口から外に出てみると、タクシーの勧誘に捕まった。お世話になる日本人職員の方から、相場は10万シリングと言われていたので、運転手にいくら?と聞くと12万という。じゃ、11で。ホテルまで送ってくれるみたいだし、雨だし、なんとか交渉成立。ドライバーは友好的な人だった。

 


車窓からアフリカに来たということを実感した。土埃でオレンジ色、家畜は基本野放しスタイル、お店は少しごちゃごちゃしていて、お肉屋さんなんかは、牛の脚がボン!生きた鶏がコケコケしている感じ。車はメイドインジャパンいっぱい。しかしなんだろう、この生活感溢れる感じ。ヨーロッパの綺麗な街並みにはないワクワクする感じ。

 


ドライバーに帰りの空港も送ってあげる、深夜でもいいよと言われ、一応電話番号をもらった。ルガンダ(ウガンダ語)でありがとうはウェバレニョというらしい、セボは男性に、ニャオは女性に対して使うなどなど色々教えてもらっているうちに、空港を出て40分くらいでカンパラ少し外れのホテルに到着した。バックパッカー宿であるが、なかなか綺麗だし、人生初めての蚊帳に入る。気温は快適で、蚊もほとんどいなかった。

 


少し部屋で休憩した後、今回お世話になるJICA職員の方が会いに来られて、挨拶や旅の経緯や大学等について話した。私は男だと思われていたらしく、驚かれた様子だった。ウガンダにおいて沢山の日本の農業関係機関を紹介して頂き、充実したアフリカの滞在ができそうである。

 


明日はJICA職員の方とラフティングに連れて行って頂けるそうなので、寝不足をチャラにするため、そうそうと蚊帳に入って寝た。

 

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