Uganda Day93

オフィスに8時半に集合します、ということだったので、余裕を持って起きた。宿は安い割に広いしトイレシャワー付きで申し分ないのだが、トイレが壊れていて水を自分で入れないと流れない。シャワーはチョロチョロ水しか出ない。水道水で歯を磨くとドブ臭い。やっとアフリカらしい不便さが出てきたかもしれない。それでも十分リッチだ。シャワーで頭を洗って身支度し、出かける。昨日見つけたロレックスの屋台で同じものを買ってからオフィスに向かった。焼きたてのものを薄いビニルに入れるからアチアチである。

 


予定よりも30分も早くオフィスに着いたので、朝ごはんとしてそこで食べる。程なくしてOさんがやってきて、少し酪農の話をした。彼の家族は暫く十勝に住んでいた経験があるそうで、酪農のこともよくご存知であった。D大学の学生を乗せたバスが到着し、私とOさんは現地ドライバーと一緒にランクルの方に乗った。ここで色々話すことができた。我が道を行けばいいということ、批判は絶対にあるので、何が正しいとか大きなことは考えなくていいこと、やってきたことが空っぽでなければ、社会貢献はできるということ…。あぁ、こんなことを言ってもらいたかったのかもしれない、と心が楽になった。

 


30分ほど車を走らせると、メイン道路から外れ、舗装されていない道へと入った。いよいよアフリカの村々である。こんなとこ、普通の旅では来れない。改めて多くの人に感謝である。ここは十数年前、神の抵抗軍と呼ばれる反政府軍が少年兵を作り出し、身内を殺させるといった本当に血生臭い内戦をして、ボロボロになった村々をODANGOが支援している。Oさんの会社は野菜生産をメインで行っているが、それだけではなく他のフォローも手厚い。D大学のゼミ生の研究対象でもあるようで、今日は彼らにNUFLIP(Northern Uganda Farmer's Livelihood Improvement Project)というプロジェクトのインタビューを行うみたいだ。

 


少し家が集まっている広場みたいなところに到着すると、誰一人いなかった。今日来ることは伝えてあったらしいが。家の周りにはヤギやら鶏やらが自由に歩きまわっていた。本当に何もない。水は井戸から運ぶし、電気やガスはもちろんない。家も土壁と茅葺屋根である。Oさん曰く、特にこの辺りと南スーダンの開発の遅れが著しいらしい。現在では多くのアフリカの地域はレンガやコンクリの家が多いが、この辺りは内戦後に建てられたもの。農民たちはレンガの家を建てるのが目標らしい。そんなことを話していると、村の女性と男性が一人ずつ椅子を持って大慌てでやってきた。こんなに大勢で来るとは思っていなかった様子である。そしてすぐに近隣の人を呼びにかかった。すると続々と人が集まり始めた。

 


10人くらい揃ったところでインタビューが始まる。英語からアチョリ語に直してである。この村はどちらかといえば高齢の女性が多いグループで、プロジェクトの普及率はそれほど高くないらしい。笑顔の絶えないおばちゃん達を見ていると、内戦があったなんてウソのようである。しかし確実に一人一人消えない傷を持っている。そこから立ち直ろうと、経験のない農業を始めることが素晴らしいし、何もないところから自立できるようにコンサルティングしていく側も相当の努力がいったのだな、と思った。インタビューの後、小さなトマト畑を視察した。機械は無い。背丈ほどある雑草を刈り、土を耕し、畝を作り、苗を定植する。全て人力で。これは凄いことである。トイレ休憩の時に道を挟んで向こう側に牛が見えた。アンコーレではないが、牛鋤から外すようで様子を写真に撮らせてもらった。

 


そしてもう一つの村へ移動。次の村は比較的プロジェクトが成功して、農民自身で稼いだお金で、シンボルであるコンクリート製の農機具庫が村の真ん中に立っていた。日差しは強かったが木陰は涼しくて、インタビューはそこで行われた。農業グループではない少年と少し話したのだが、日本国籍はどうやったら取れるの?と聞かれ答えに困った。私はたまたま日本に生まれてその恩恵を受けて、不便な生活など想像もせずに生きてきた。それを恥ずかしく思った。インタビューの後、畑を見せてもらった。トマトの他にもメイズやキャッサバ、ゴマなどが植えられている。これらの穀物系はあまり金にはならず自給用である。野菜はちゃんとやれば金になる。2aの畑でも50万シリングになるらしい。これで子供達を学校に行かせたり、次の農業への投資や牛を買う貯金にしていくのだと、農夫は語っていた。

 


今まで先進国の農業を見てきた。有機農家はマイノリティだが、進みすぎた農業は環境を破壊するとして、生産性の代わりに付加価値を付けてもっと小規模に、という流れがきつつある。一方アフリカ。まずは生産をして所得を得るための農業へと向かっている。全く逆のことである。その矛盾がずっと私の中をぐるぐると回っている。日本はどこを目指すべきなのだろうか。

 


Oさんはびっくりするほど明るい。立ち向かっている問題はとても深刻なのに、誰に対しても親身でラフで笑顔が多い。凄いなと思う。と帰りの車で思った。

 


一度宿に帰ってから、6時半にオフィスに再度訪れ、今晩はピザ屋さんで夕食らしい。ところが、準備が殆ど出来ていなかったらしく、3人でテーブルや椅子を準備。ビールやジュースがほぼ無く、ボダボダにおつかいを頼む始末…。今日は荒れる、と誰かが言った。出てくるのは遅かったが、ピザはなかなか美味しかった。話題は青年海外協力隊の話へ。何が一番危なかったとか、そういう話。こんなこと絶対に本人しか知らないとか、本当に危険の最前線で働いているのだと知った。

 


今日も夜遅くまで楽しい時間を過ごさせてもらった。宿に帰ってすぐに寝た。

 


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