END Day108

何時間ベンチで座って目を瞑ってい他のだろうか。5時頃になると、空港内の店も開き始め、スーパーに行ってレンチンできるパスタを買って食べた。7時頃に一度、チェックインカウンターの電子掲示板を見ながら私のフライトは何番かを見た。もうiPhoneのバッテリーはほぼ残っておらず、それで時間を潰すことはできない。9時50分から受付開始なので、さらに待つことになった。

 


スターバックスに行ってコーヒを買う。ゆっくり飲む。空港内をうろついたり、なるべく時間を潰す。ようやく時間になりチェックインカウンターに並び、荷物を預けた。そしてやっとゲート前に行けることになる。こっち側にこれば、コンセントや充電スペースも、違うお土産屋さんやレストランなどもあるのだ。すぐさま充電した。それから余った30ユーロどうしようかなと考えつつ、結局ここでは使わなかった。

 


12時少し前にヘルシンキへのフライト。さぁ、いよいよ帰るのだ。日本人もちらほら見える。同じ目的地だろう。2時間のフライトは眠れずともすぐさま過ぎ、ヘルシンキへ到着。トイレに猛烈に行きたかったのに、こういう時に限ってバス送迎である。

 


空港で適当に時間を過ごした後、17時のセントレア行きのフライト。ようやく字幕の出る映画が見れた。アラジンや半生活など4本見たら、寝ないまま名古屋到着。目の奥が疲れきって頭痛がした。

 


再びバス送迎。日本はとても蒸し暑いと感じた。

 


リムジンバスで藤が丘、そっからタクシーで自宅へ。もうそっからは気力で帰った。

 


自宅へ帰ってきた。私の旅は終わった。これが現実である。今までのは夢だったんじゃないか、と思うほど遠い昔のように感じた。

 


さぁ、これから。

就活もしなくてはならないし、卒論も旅に出る前のままで止まっている。それらに取り組んだら、もうあっという間に残りの学生生活は終わっていくだろう。でもこれからどこに行くにしろ、どんな仕事をするにしろ、自分のやりたいことをブレずに追うことができると思う。この旅で出会った仲間や思い出が背中を押してくれるから。まずは置かれた場所で頑張ってみよう。一つずつ中身の詰まったずっしりと重い箱を積み上げていこう。そして自分の夢を叶えたあかつきには、自分のしてもらったことを若い人たちに返したい。それが恩としてできることだと思う。

 


またいつか旅に出る日まで。

とりあえず、お疲れ様でした。

Kenya→Netherland Day107

ベンチではあまり眠れず、5時くらいからなんとなく起きていた。現金は使い切ったので、水も買えずにただひたすら時間まで待ち、7時半ごろようやくゲートが開いた。

 


8時過ぎにテイクオフ。さらばアフリカ大陸。8時間のフライトで夕方にはアムステルダムだ。飛行機の中では猛烈に眠たかったにもかかわらず寝れず、ナショジオワイルドライフをただひたすら見たり、コンピュータ相手にチェスでボロ負けしていた。

 


15時半、予定通りアムステルダム到着。入国審査で鬼のように時間を食ったが、私の場合、別の航空会社のトランジットですと言ったら30秒くらいで終わった。

 


とりあえず荷物を預けて(高い。さすがヨーロッパ)、店をウロウロしたりしながら、結局スーパーでお土産とか食料を買い出ししてベンチで食べた。17時過ぎにはもう退屈になってしまい、iPhoneの電池がなくなってきたのでコンセントを探す。数個見つかるが、私のプラグでは挿さらないので、充電できず。くそう。ナイロビ空港はカウンターのお姉さんのさじ加減でチェックインできたわけだが、スキポールではそうもいかず、本当に3時間か2時間前にならないと入れない。全てのプラグや、インターネットオフィスや、休憩所は向こう側にあるというのに…。22時ごろ荷物を受け取りに行って、手頃のソファがあったのに他の若者アジア人が既に独占しており、寝床にはできそうになかった。しかもスキポール、ベンチ一つ一つにご丁寧にも肘掛けが付いているので、ベンチで寝られないのだ!ケータイが使えない中でのオールに突入である。

 


荷物を何とかバックパックと一つのカバンに収め、そのために衣類はほぼ捨てて容量をあけておいた。もう眠いのか眠くないのかわけわからん感じになり、うとうとを繰り返し、気づけば日付もかわっていた。

 

 

Kenya Day106

蚊のせいで寝付けなかった。あまり眠れていない。蚊帳をすればいいのだがしなかった私。

 


7時にチリ人のおっさん4人と共に朝食を食べ、荷物をまとめて早々にマサイの村に赴いた。キャンプからそれほど離れておらず、あっという間に到着。降りると脚の細いマサイ族の男たちが歓迎の踊りをしながら迎えてくれた。これぞ!アフリカの民族っていう感じの歌というか踊りというか。少し不気味なんだけど、ずっと見ていたくなるのは何故だろうか、不思議な魅力がある。客の何人かが手を取られ、踊りに参加。私も目をつけられて、カンガを被せられ、踊りに加わる。女の人がお尻をシェイクするやつよりは全然激しくないのでなんとなくついていけた。それが終わると、垂直跳びが始まる。軽く飛んでいるように見えてマサイ族はとても高く飛ぶ。観光客が隣でやるのを見ると一目瞭然だ。マサイ族の男たちはこれを競うようだ。

 


それが終わると村の中を案内され、火起こしや牛が囲われているのを見学。その後少人数に分かれてマサイの家を見学。私だけなぜかグループの中でぼっちになり、マサイ族男子と2人っきりにされた。彼の家を見学することに。壁は土塀で表面に牛の糞が塗られている。目が慣れるまで中は真っ暗だったが、だんだんとわかってくると、どうやら彼のおばあちゃんが土間で牛乳とメイズを混ぜたやつをコトコト煮込んでいるらしかった。家の中はリビング兼キッチンが真ん中にあり、両サイドにベットが置かれ、あと搾乳の家畜部屋と客人部屋があるらしかった。色々質問してみる。

Q.何食べてるの?

A.ミルクと牛の血を混ぜたドリンク的なもの。牛、羊、ヤギの肉。たまに買うメイズ。

Q.何人奥さんもてるの?

A.持っている牛による。奥さん1人につき、牛15〜20頭と交換なので、牛がいないと結婚できない。女性は違う村の人を選ぶ。中には200頭、奥さん5人の人もいるよ。

A.学校は行く?

Q.近くに学校があり、マサイ族じゃない子とも混じって勉強する。男女は別れるけど。

 


などなど。9年に一度、家が脆くなる、草原が近くになくなるなどの理由で引っ越しするらしい。そんな話をしながら外にでると家の裏へ連れていかれた。ネックレスやブレスレットを見せられて、この売り上げで子供達のメイズを買うんだ的なことを言われ、買うように催促を受ける。家まであげてもらって、私生活を見せてもらって、そんなこと言われて断れる奴いるんだろうか?いやいるんだろうけど…。ツアー代とはいえ、この人たちに入るのは微々たるものだろう。一番マシというかまあ、自分の好みのやつを選んでいくら?と。4000シリング。高いよ!ドルでもいいらしく50ドル渡したら、最初はおつりあるって言ってたのに、ないらしく、もう一つネックレスを持たされ、2個で50ドルと…。とほほ。ボラれたり。

 


その後牛の写真とか撮ってほかのグループが帰ってくるのを待つが、みんな捕まっているらしく、全然帰ってこない。再びマサイの彼と話していると、日本のものが欲しいらしく、何かと交換しよう!と言われた。特に私の時計がお気に召したらしかった。いいよ、もうあげるよ!安物だし、もうボロボロだったし、マサイ族が自分のもの使ってるなんて素敵じゃないかしら笑と思い、もはや彼につけてあげると喜んでいたのでよしとする。ただ、太陽の傾きで生活する彼らに時間などは必要だろうか…?

 


ようやくロシア&ポルトガルグループが帰ってきて、やはり何か買わされたらしい。みんな浮かない顔をしていた。いらない!と言えばいいんだけど、なかなか難しいのだ。複雑な気分だった。そしてチリグループはもう笑ってしまったのだが、ひと抱えにするほど購入していて、リュックに入りきらないほどだった。なかなかの洗礼。

 


1時間半くらいいた後、私たちのグループは最後に村を立ち、後は一直線にナイロビを目指して帰る。ところが、舗装していない道路をなかなか荒い運転で飛ばしていたところ、見事にタイヤが破れパンク発生。何にもない草原に立ち往生である。後ろからついてきていた違うサファリカーのドライバーも手伝ってくれて、ジャッキで持ち上げてスペアに交換である。スペアはなんだか頼りがいなかったが、走れるのでよしとする。洗礼本日2発目。

 


牛や羊を追う少年や、メイズを売る人たち、アフリカっぽくない小麦をハーベスターで収穫、道路を渡ろうとする家畜たち、水を運ぶ子供、積載量をとうに超えたトラックなどを横目にしながら、途中スタンド休憩を挟み、13時ごろにランチタイム。コメや豆煮込みなどのあっさり系ご飯だった。15時ごろにはナイロビ市内に到着した。市内に入るといきなり交通渋滞で進まず。おおどおりの交通渋滞の中を商人たちは平気で横切っていく。そうしてタクシーパーク的なところに到着し、何処かもよく分からずに降ろされる。ツアーのおじさんたちとの唐突の別れ。なんやかんや楽しかったし、モラルの勉強にもなりましたです、はい。

 


とりあえず、人の流れに沿って歩き出す。ケータイを見ながらだと取られる可能性があったので、隠しながら。ただ、凶悪都市とは言われているナイロビだが、そんなことはなく普通だった。人々で賑わい、活気のある通り…。ツアー勧誘のおじさんに話しかけられたが、もうサファリ行ったんです、ごめんねー。というと諦めてくれた。

 


しかし、ボダに誘われたので、救いだと思って乗らしてもらう。高速沿いの大型スーパーに行ってみるものの、業務用っぽくそんなに品揃えはなかった。紅茶やコーヒー売り場でさまよっていると、暇そうな定員2人が話しかけてきた。ふつうに喋っていると、東京だけじゃなくヒロシマナガサキと言ったワードが出て、歴史で習ったんだと彼らは言っていたが、世の中に知られていることに驚いた。談笑後、彼らの勧める紅茶を買って再びボダに誘われたので、ここじゃないスーパー知ってる?と聞くと、連れて行ってもらえることに。彼曰く、空港にも行ってくれるらしい。割高だったが、タクシーを探すのが私にとってストレッサーだったので、もうボダで行ってしまえ!と思い切ることに。スーパーでJAVAのコーヒーを買って、いざ空港に向けて。

 


アフリカの道路は面白いもんで、人力のリアカーとか、ロバに水運ばせたりがフツーにあるからね。そんなのを避けつつ、途中燃料を入れつつ、風が良くて、バイクアンチだった私だけど、バイクの魅力も少しわかった。20分くらいでゲートに到着する。バイクはここまでしかダメなんだ、後はマタツでと言われ、彼に支払いを済ませ、荷物検査を受けた。マタツは見つからなかったのに加え、タクシーが次から誘ってくるので、ここから空港までどれくらいの距離?と尋ねると、4kmだという。そんなの歩きたくない。ポケットの有り金の小銭を出し、これで。というとあっさりと送ってくれた。絶対これも割高。初日あんだけ金が足りないと思っていたのに、空港で余るハメになるという計画がヘタクソな私。

 


Departureのエントラスで荷物検査を受けた後、サファリのキャンプから一緒だったアメリカ人老夫婦に再び遭遇。レオパードの写真が撮れなかったというと、後でメール送ってくれることになった。ありがたし。KLMの便でオランダ経由一緒だねなどと話した。

 


オンラインチェックインに初チャレンジしようと、メールと戦っていると、ステータスがスタンドバイになっているではないか。この度で、一体何回スタンドバイを食らったことだろうか…。Webではこれ以上進めなかったので、随分早い時間ではあるが、チェックインカウンターに相談すると、お姉さんがあっさりとチケットを発行してくれて、上で待っていなさいなと。ということで、出国を済ませた。審査官のおじちゃんに、君バイクに乗ってたでしょと言われて、ゲートのモニタリングしてたら映ってたよだって。異国人でバイクに乗って空港入りなどと目立ったことをしてしまい、反省した。

 


上に上がって、お土産屋で有り金シリングをはたき、ギリギリ残してレストランに行った。若めの青年ウェイターがメニューを持ってきてくれ、結構高いのであまり選択肢がなく、マトケとメニューもあまり読まぬままちょうど使いきれるようなおかずを選んだ。ところが、である。これが最後のアフリカ飯になるわけだが、とんでもなかった。先にマトケが来て頬張っていると、同じウェイターが何やら木の器に入ったふりかけのようなものを持ってきた。しかしよく見てみると…。虫である。明らかに羽根や頭や脚が見て取れる。げぇぇぇ。最後にゲテモノもとい、昆虫食を選択するとは。そういえばウェイターが心配そうにメニューをとっていたっぽい。こうなりゃヤケである。恐る恐る頬張ると、…悪くない。でも美味しいとも言えない。煮干しみたいなそれの佃煮みたいな味がした。けど量が多いんだよ。あとビジュアルがよくないよ。しかしタレをかけたりストーニーで流し込んでちゃんと完食した。ウェイターが嬉しそうに、アフリカ人の仲間入りだね的なことを言っていたが、マジでこんなはずでは。同じ値段ならカフェのサンドイッチでも食っときゃよかったよ。とほほ。多分こんなメニューは日に何度も出ないだろうな…。

 


もう疲れたので、充電しながらベンチに腰掛けて、滞った日記を書いたり、メール返したり、疲れたら寝たりを繰り返し、気づけば日付も変わった。

 

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Kenya Day105

朝5時半、まだ夜明け前に食堂で朝食を済ませて6時からサファリスタート。ゲートに入るなり、キリンの群れ。朝焼けバックにいい絵が撮れた。ヌーやシマウマはたくさんいるので、もうそこまで珍しく無くなってくる。本当に面白いように、そこら中に動物がいるのである。マサイマラ国立公園のエントランスをくぐった途端にたくさんいるもんだから、もはや超デカイ動物園のような感覚になった。

 


ライオンも結構いる。チリ人は相変わらずうるさくて、動物に対して歯笛で呼びかけるものだから、ドライバーからあんまりやると罰金されるよとお叱りを受けていた。フンバやチーター、ホロホロ鳥、ハゲワシが死体に群がる様子、インパラ、ミーアキャットなどを見て、動物群を抜ける。デジカメくらい持ってこればよかった。iPhoneのカメラではズームに限界がある…となかなかいい写真が撮れないので歯がゆかった。象やライオンなど、Big5級なのがいると、すぐにサファリカーの人集りができる。動物たちはあまり逃げる様子もなく、ちょっと迷惑そうな感じで人間のことは無視していた。

 


今日はタンザニアセレンゲティ国境付近まで行って戻ってくるという王道コースらしい。ちょっと奥に入ると動物にもまばらになり、ヌーでさえ見なくなる時もしばしばあった。と、一本の木の麓に、ダチョウのオスの姿が見えた。まさに孤高。片足ではなかったが、エルフのような風貌で、カッコいいと思った。ゾウは遠目に見てもわかるほどのシルエットで、存在感がすごいので恐竜みたいだと思った。

 


途中うつらうつらしながら、こんなくぼみもハイエースで行くの?ランクルじゃなくて大丈夫!?というオフロードもガタンガタンしながら進み、マサイマラのボーダーを目指した。

 


お昼近くになって到着。レンジャーが銃を持って人グループに一人つきっきりになってカバやワニの説明をしてくれた。レオパードが木の上に隠したヌーの食べ残しなども見つけた。ランチボックスはサンドイッチにチキンやリンゴなど。かなりの数でモンキーたちが集まってきて、ドライバーがパチンコなどで追い払っていたが、グループのうちの一人のサンドイッチがとられた。モンキーは子連れもいて、母ザルは子猿を抱っこしながら食べ物を狙っていた。

 


タンザニア国境まで来たので折り返し。しばらくは淡々と走っていたが、急にスピードが上がったので何かと思えばサイの目撃情報が無線で入ったらしい。遠目に、のしのしと大きな動物が見え、カメラのズームでツノが見えたのでサイだとわかった。見れないと思っていたのでとてもラッキーであるが、サファリカーがどんどん集まってくるにつれ、彼は茂みに隠れてしまった。

 


これでBig5は見れたと言っても過言ではない。ドライバー曰く、レオパードは見つけるのはそれほど難しくないようなので、サイが見れたらもう満足である。ところが、最後になってレオパードがなかなか見つからず、木の上や川沿いを走りながらあちこち探すも姿は見つからず、かなり探して、ようやく川辺の茂みで昼寝をするレオパードを発見。ただ、この位置からはかなり写真で取りづらく、一応見たけど、ハッキリ見れたわけではなかったので残念である。

 


陽も傾き始め、帰路につく。キリンやヌーやシマウマを眺めながら、太陽に当たったのと、写真を撮るので必死だったのとで疲れてしまった。終始おじさんがひしめくハイエースの中にいたし、良い場所取りをするのもイージーではなかったので。

 


キャンプに戻ってシャワーを浴び、夕ご飯をチリ人のおじさんたちと食べてこの日は終わり。テントに戻ると電気が消える時間の前に寝てしまった。

 

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Kenya Day104

ニューケニアロッジから重々しい寝覚め。死んだように爆睡していた。少々頭痛がしたものの、ほぼほぼ回復。今日からサファリだと期待に胸を膨らませる。

 


8時に宿前に迎えが来ることになっていたが、前金をパクられてとんずらされる疑いもなくはなかったので暫く安心できない心境で待っていた。15分過ぎても現れないので、やっちゃったかなぁ…と思った頃、ロッジの管理人さんが階段を駆け下りてきて今電話あったから、サファリのバンがいるところまで送っていくよ!と言われた。ホントかよ!というかなんで私に電話せずに宿にするんだよ!そして下にいたとてもボロのタクシーとの関係は何なんだよ!と疑問がいっぱいだったが、これにすがるより他に術もなく、胡散臭いタクシーに乗り込む。途中、サファリツアー客であるドイツ人のおばちゃんをピックアップし、ちょっといった、いわゆるサファリツアーの出発の溜まり場みたいなところに出た。両替人がウロウロしており、バンもたくさん乗り付けていた。こっちだと言われたバンの方はずんぐりムックリとしたドライバーで、私のバックパックを受け取るや、石が入っているのか!重過ぎだぞ!笑と。

バンに乗り込むと、すでに7人の巨漢が座っていて、女性は私一人らしい。なんともむさいところに入ってしまったなぁと、少し楽しみだけど、憂鬱なサファリが始まった。もし、飛行機が遅れなければ…、もし、空港でタクシードライバーに出会わなければ…、もし、ニューケニアロッジに泊まっていなければ…、私はこの場にいなかった。色んなことの巡り合わせでなんとかサファリに参加できることになった。これも縁である。楽しもうとマインドリセットすることにした。

 


ナイロビ市内を抜けると、車は急に早くなった。おじさんたちは、チリ人が4人とポルトガル人が2人とロシア人が1人と私というなんともインターナショナルなチームだ。チリの人たちは英語が通じず、ポルトガルの人がスペイン語と英語が話せて通訳に徹していた。1時間ほど経つと、タンザニアまで広がる大地溝帯を横目にしながら、トイレ休憩に寄ったり、ツアーと連携しているらしきレストランに寄りランチしたり。久しぶりのちゃんとした食事で思わずがっつく。

 


だんだん道もオフロードになってきて、牛や羊や山羊をペーターのように連れ回している人々に何度もすれ違い、家畜が道路を横切るために車を止まらせることもしばしばだった。ロバを二頭繋げて、公共の道路を馬車でゆく人々もいた。15時ごろにキャンプに到着。16時半からイブニングサファリをするというので、テントにてしばし休憩。テントはとても快適で、ベットもあり、想像よりもうんと充実していた。

 


16時半にドライバーが迎えに来て、マサイマラ国立公園の入り口に向かう。レンジャーが何人もおり、1人1人のパスポートをチェック。その間、マサイの女性たちが装飾品やお土産品などを両手に持ち、バンの窓を開けるなど強引な押し売りに耐えていた。

 


公園内に入ると、早速ヌーやシマウマがわんさかおり、後にこれらの動物たちはよく観られるので飽きてくるのだが、最初のうちはいちいち車を止めてもらって、写真を撮った。ホロホロ鳥も大群で遠くの方にいて、なかなか滑稽で可愛らしい。バンの上から8人が顔を出すので、結構熾烈な争いである。常に自分側に動物たちがいてくれと願いながら、そういうわけにもいかず、難儀しながらサファリしていた。それでも、人生初めて野生のゾウを見たときは感動した。ゾウは遠目から見てもフォルムがわかるほど存在感が大きい。残念ながらお尻しか向けてくれなかったのだが、一番見たかったものが、結構序盤に見れて満足である。他夕日をバックに木々を撮ったり、ライオンキングに出てくるイボイノシシを観たり、少ない時間ではあった初日を楽しんだ。宿に帰るとすぐにシャワーを浴び、ちょっと水がサビっぽかったが、お湯が出たのでよしとする。夕食をとり、18時半から22時までしか電気が使えないので、急いで充電をして、明日朝6時からのサファリに備えて就寝した。

 

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Uganda Day103

ラウンジの地べたで横になっていたが、ほとんど眠れずに夜明けを迎える。ドリンクバーでアフリカティー(ホットミルクにティーバッグを入れる)を頼んで、少し砂糖を入れるとこれまた体に染みる。

特例で昨日チェックインを済ませていたので、荷物を預けに再びカウンターへ行く。その後ラウンジは出て、普通のゲート前のベンチに座って時間を過ごした。どういうわけか、アムステルダムで買った新品のモバイルバッテリーが充電機能を失って、ランプは付くものの、全然充電できていないことに気づく。あーあ、サファリの泊まるところで充電できなかったら死んだなコレ…。それから、ツアー会社の人から連絡が来て、今日からの参加は難しい&ピックアップしてくれるはずだったドライバーを待たしたので請求があった。ダブルパンチ。現地で新しくサファリツアーを探さなきゃいけないかつ、キャンセルとかについては何も話し合っていなかったし口約束だったので、金を請求か…と思いながら鬱な時間を過ごす。とりあえずケニアに行かないと状況がわからないので、出発を待った。

 


ケニアに到着したのは12時。予定より8時間遅れて計画は丸潰れになった。入国手続きなどは意外にもスムーズで、あまり時間をかけず外には出れた。本来なら空港から直接ツアーに参加し市内にはいかないはずだったのに、宿を手配しなきゃいけないのと、ケニアシリングに両替、SIMの購入などやらなきゃいけないことがドンと来た。両替を済ませ、SIMの会社がいくつかあって迷っていると、例のごとく沢山話しかけられる。一人のタクシードライバー(彼いわく本人は正規とのこと)と何となく話し込むとSIMとかタクシーとか勧めてきた。もう疲れているのもあり、乗っかってみる。まずはSIM。高いのからか分からないが閑古鳥の鳴くメガネの素敵なお兄さんの会社へ行くと、選択肢が10GBからしかないという…。そんなに使わねぇよ!とか思いつつ、高くもなかったので電話もつけてそれにした。手際よくやってくれた。

 


それからドライバーに誘われ、タクシーに乗り込み、ナイロビ市内のサファリツアーのオフィスへ行く。1日130ドルでキャンプ食事送迎付き。まぁ、悪くないし、というかもう乗っかってやろ!と思ってお金を支払った。前金として全額払うと、そのままパクられて当日迎えに来ないこともあるため、やめた方がいいなどと地球の歩き方に書いてあったが、もうここは信用するしかなかった。それからニューケニアロッジという日本人宿に行き、予約してないけどドミトリーの一泊は空いているとのことでチェックインした。

 


宿にはインド人が3人ほどと、出入り口にケニア人のおっちゃんがいて、この人はイギリスでシェフをしているそうで、今里帰り中らしい。暫く喋っていると仲良くなり、ウガリとボー&チキンのおかずをご馳走になった。スーパーへ水や必需品を買いに行こうと出かけてみるものの、バスターミナル周辺の治安はそれほどよくなく、アジア人などほとんどいないため珍しいのか終始話しかけられるし、誘われるのでほとほと疲れてしまい、スーパーは諦め宿に帰った。

 


それからベットにダイブし、2日間ほぼ寝ていなかったので死んだように寝た。

 

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Uganda Day102

昨晩12時までUNOして床についたのは良かったものの、全然寝付けなくて気づいたら朝4時。眠れぬままただただ横になって、仕方ないので起きる。Nさんが飯を食わしてくれるというので訪れ、茶漬けを食べた。昨日やるはずで忘れてしまっていたというデータ取りを少しだけ手伝った。

 


パッキングして、事務所を出て、Nさんとマタツに乗ってカンパラへ向かう。ところが、道を走るマタツはほぼほぼ満席で全然捕まらず、仕方ないので、次のマタツ乗り場がある街まで10kmボダで行くことになった。私はバックパックが重いので3ケツはしなかった。ドライバーはかなり安全運転で、カンパラ市内と比べ物にならないくらい、バイクを切る風が気持ちよかった。隣町のマタツ乗り場でなんとかカンパラ行きに乗ることができ、40分ほど揺られながら、雨降る中カンパラの中心部にたどり着いた。マタツから降りると、ナカセロマーケット付近をバックパックを背負いながら通り過ぎ、中華料理屋を目指すべく広場に出てUberを拾った。ドライバーは感じの良い人だった。

 


ホテル内の中華料理屋で昼ご飯を食べる。日本円にしたら安いのだけれど、アフリカではとても高級なお値段だ。私が注文した辛めの焼きそばは、唐辛子が3種類も入っていて半端なく辛く、自分が注文したのにもかかわらず、ほぼNさんに任せてしまい、私は回鍋肉をガツガツ食べた。空港までのタクシー代しか手持ちがなかったので、殆ど奢って頂いた…。

 


再びUberを呼び、モールに移動。教えてもらったクラフト屋さんやローカルスーパーでワラジや紅茶を買った後、モール内のスーパーにも行ったが、私は何も買わなかった。ATMで米ドルが下ろせることを知り、ケニアに備えて少しだけ手持ちを増やした。15時くらいになって、Nさんは日が傾く前にナムロンゲに帰るとのことだったので、見送って別れた。

 


するとすぐにJICAの方から連絡があり、ケニアに発つ前に会って頂ける事に。カンパラ市内を一望できるカフェに連れて行ってもらい、コーヒーを飲みながらグルでの出来事やウガンダや今回の旅で感じたことなどを話させて頂いた。

 


その後、ウガンダで開業している女性獣医師と念願の会食をした。モールまで迎えに来て頂き、彼女はとてもハツラツとしていて、話が止まらなかった。ガードマンが休みだというので、彼女の自宅まで行ってライトのセンサーを付けるとともに、ビクトリア湖付近の漁師町でティラピアの唐揚げを食べる事になった。彼女は大学を出た後、数年動物病院に勤めて、院でケニアの大学に移り、協力隊員にも参加し、アフリカに感化され、現在畜産プロジェクトに関わる傍ら、ウガンダで獣医師免許を取り、開業もしているというパワフルすぎるエピソードである。グルに行った時もそうだったが、人生の先輩として初志貫徹言われることは、我が道を行くこと、他人の目は気にしない事、自分のやりたい事に素直である事、だなぁと感じた。今回たった3週間でアフリカナイズドされたとは思っていないが、パッションのある日本人に会えたこと、その人たちがアフリカという土地で活躍されていることを知れたのは、大きな意味があったと思う。

 


そして空港まで彼女の車で送って頂ける事に。朝3時のナイロビ行きの飛行機だったが122時位についてしまったので、小銭でビスケットと水を買い、お土産やさんを観たり、ベンチに座ってぼーっとしたりして過ごした。12時回る頃になり、チェックインカウンターが空いたことを知ると、手続きに向かった。しかし、そこで大変な事になった。

 


3時発のナイロビ行きルワンダエアーは機体トラブルのためフライトしません。と告げられる。なん…だと…。サファリのドライバーに4時過ぎには迎えに来てもらう手はずになっているのに!残念なことに、3時50分発のケニアエアウィズは満席と言われ、一番早くて13時の飛行機になるという。少々ゴネたらのちに11時40分のフライトになったが。それでも7時間遅れ。とりあえず、エージェントに連絡してみるものの、恐らく寝ているのであろう連絡は取れず。どうすることもできないまま、案内されたラウンジで夜は更けていった。

 

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