Porland Day73

krakowには6時20分頃到着した。トイレに行きたかったのだがコインが無くて断念する。また腹痛が続く。両替をしなくてはと思い、あまりレートも見ないままにスイスフランポーランドズウォティに変えた。30フランが80ズウォティになったが、後で計算してみると1000円近く損をしていた。駅はショッピングモールと併設されおり、まだ朝は早かったので人通りはそれほどなかった。

 


英語のガイドツアーに申し込んだので、ピックアップ場所のホテル前でももやライ麦パンをかじりながら待った。同い年くらいの女性と、老夫婦も一緒のツアーだったみたい。10分ほど遅れて大型バスがやってきた。30人くらいはいた。フランス語か英語に分かれていた。アウシュビッツまでは2時間弱かかるため、速攻で寝た。

 


到着すると、道路を挟んで隣のレストランの前で降ろされた。アウシュビッツ博物館の前は長蛇の列ができていたが、団体はそれには並ばないので、随分早くに通れた。空港のような手荷物検査をすませると、ヘッドフォンを渡されて、ガイドの声が遠くて聞こえないということがないようにしてあった。ガイドさんはガタイのいいイケメンのおじさんで、英語のedの音が巻き舌になるなど、少しわかりづらかったものの丁寧だった。ただ、私の歴史的背景の知識が乏しくて不明な所も何点もあった。

 


ゲートに入る時、有刺鉄線のフェンスが二重になっていてその悲惨さを痛感した。ただ、私が知らなさすぎなのだが、アウシュビッツはもともと刑務所であり施設的には意外と整っていて、本当に残酷なのはビルケナウの方なのだと初めて知った。アウシュビッツは博物館にもなっていて、展示室の中にはユダヤ人から集めた靴や鞄、髪の毛などが展示してあった。ここに入っていた人々の写真も男女別に展示してあったが、多くは半年以内に命を落としていた。

 


昼前に一通り周り、バスに乗って5分ほど移動し、ビルケナウに移る。ユダヤ人を乗せた貨物を運んでくる線路がそのままに残され、門もそびえ立つように建っていた。列車で到着するとすぐに老若男女分けられ、働けないものはそのままガス室送りになった。有刺鉄線の中にある建物には一つにつき700人が住んでいた。ただ、三段に分けられたベッドとも言えぬスペースがあるだけで、風呂もトイレも何も無く、冬のマイナス20度を超える寒さの中を耐えねばならなかったそうだ。

 


ただ、そのままの形が残っているとは言え、戦後74年経ってしまうと過去のものでしかないという印象を受けた。門の前でピース写真を自撮りする若者を見たし、目の前に併設された本屋やカフェではアイスクリームさえ食べられる。なんだかなぁという気持ちだった。ただ、実際に見にこられたことは良かった。日本に帰ったらアドルフに告ぐを読もう。

 


1時間半かけて駅まで戻ってきた。Warszawa行きの電車には時間があったので、ショッピングモールをうろうろとし、お金も使いきりたかったので電気屋さんでiPhoneのイヤホンジャックを買ったものの、iPad用で使えず。とほほ。サンドイッチとお菓子を少し買った後、大衆食堂的なレストランでカツレツを食べた。日本円にして500円くらいだからそんなに高くない。

 


西ワルシャワ駅に到着したのは20時半。ここで大変な間違いに気づく。予約していたDBのバスは15日発になっており、1日早い便を予約してしまっていたのだ。ということは今日の便の予約はないので丸腰ということになる。しまったなあ、と慌ててDBのホームページから2時間後に出発するバスをもう一度予約できた。ただ、20ユーロ損をしてしまった…。本当バカだなぁ。また、バス乗り場の掲示板がなかなか更新されず、本当にこの駅からDBのバスが出発するのだろうか?とずっと不安だったが、掲示板には表示されなかったものの、バス停を見張っていると乗るバスを見つけられたので、運が良かったといえよう。運転手さんに予約票を見せ、無事にバスに乗ることができた。これに揺られて明日の朝7時にはberlin中央駅に着く。やれやれ。

 

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