Uganda Day101

朝8時にカミヤという現地スタッフのバイクに同乗させてもらい、農家訪問をする。PRiDeで育種された様々な特徴のある陸稲の種を農家に配るのだ。バイクでいけるところまで進み、畑へは道なき道を藪をかき分けて進んだ。雑草が生い茂る中、周りにサトウキビを植え、その中に手で開墾した畑に陸稲が筋植えしてあった。カミヤと農家が話しているところで牛追いが通りかかる。思わず藪の中を駆け出して、追いついた。カミヤが後から追ってきて、本当にウシが好きだな、お前と言っていた。だって、まだ本物のアンコーレ写真に撮れてないんだもの。牛追いは一度写真撮るなと言ったが、カミヤが説明してくれ、何とかOKしてもらった。

 


その後ちょこちょこ農家を周り、再び施設へと引き返し、稲作プロジェクトとは別の機関である畜産研究所に訪問させて頂くことになっていた。所長らしき人はまさか私が本当に来るとは思っていなかったらしく、何が見たいんだ?的な感じだったが、酪農と繁殖関係を特に!というとあまり感情をあらわにしないまま、場内を案内してくれることになった。北欧のジェネティックの会社vikingからつい最近ジャージー牛を取り入れたそうで

、その牛舎や大豆油を絞った粕をTMRにする機械、エレファントグラスやネピアなど暖地型牧草の栽培、などを見せてもらった。アメリカ資本も入ってきて、真新しい最新技術の揃ったフリーストール牛舎も併設されていた。最後に所長に、ウガンダの酪農の目標は何か問うと、牛乳、乳製品をの国内需要を満たし、ケニアや隣国への輸出産物にしたいということであった。確かにアフリカの畜産ポテンシャルは相当なものだ。ただ、農家間のギャップが大きすぎるなと思った。それを是正というか、難しいだろうなとも思う。

 


一度事務所に戻って昼食をとり、午後からマタツに乗ってナムロンゲから協力隊員のいる隣村まで行く。マタツ乗り場にバイク3ケツして向かい、初マタツはギュウギュウに混んでいた。途中、村の名前を忘れてしまい、乗り換える時焦ったが何とかなった。村の停留所に到着すると、協力隊員のHさんが迎えに来てくれて、自身の所属する精米所だったり、デモ圃場や米の普及をさせるためのコンサル業務などに取り組んでいることを説明してもらった。その後、ちょうど今彼の相棒が農家の元にいるということでそこに行った。なかなかの光景。というのは、陸稲であるはずなのに雨季でどこかが溢れかえり、水稲のようになっているではないか。水稲でさえ、収穫シーズンには水があっては困る。主格した稲の置き場や脱穀のスペースが確保できず、足もぬかるみにとられる。水を含んだもみからは芽が出ていた。農家への指導や自然災害だったり、土地の値段をボラれたりとハードな内容だった。しかしHさんは工夫して、農作業機械の販売を始めたり、自転車のハブを使った脱穀したりと同い年ながらすごいなと思った。〇〇がないからできない、というのは言い訳だ。無い中で工夫してどのように成果を出すか、ここではそれが求められる。

 


色々と見せて頂いた後、バイクでマタツ乗り場に戻るとき、アンコーレ牛の親子を散歩させている牛飼いがいて、赤土の道を歩く彼らはなかなか絵になった。パイナップルの産地だと教えてもらったので、乗り場の前の出店でパイナップルを買った。30分かけて事務所に戻る。

 


夕ご飯は、大学院生と協力隊員3人とその友人と私の計6人でナムロンゲのポークジョイントに食べに行った。協力隊員は私より若い人も、同い年もいて、院を休学してきていたり、様々なんだなぁと思った。ここでの生活は今後の人生経験にタフさをもたらすだろうなぁ。時間があったら、もう一つ何か出来るなら、私にも参加できるだろうか、とふと考えた。

 


その後、宿に戻ってシャワーを浴び、6人で酒をつまみながらUNOや大富豪を日付が変わるまでやった。トランプはなかったのだが、UNOをトランプの枚数に揃えて、スパードやハートも色で分けた。結構盛り上がる。皆大貧民にはなりたくなくて、なるとその役を演じねばならないので、作戦を考えたりと奥が深い。アフリカに行ってこんな夜を過ごすとは思っていなかったが、いい思い出になった。

 

f:id:N5-phage:20190923095037j:image
f:id:N5-phage:20190923095048j:image
f:id:N5-phage:20190923095040j:image
f:id:N5-phage:20190923095044j:image
f:id:N5-phage:20190923095028j:image
f:id:N5-phage:20190923095053j:image
f:id:N5-phage:20190923095033j:image

 

Uganda Day100

記念すべき100日目。一度日本に帰るなど色々あったわけだが、海外で過ごした日数が100日となった。気づけばあと1週間で日本に帰るのである。なんだか信じられない。

 


朝8時にJICA事務所でピックアップしてもらう手はずだったので、宿から歩いて30分、バックパックを背負っても40分あれば十分だと思い、7時に出ようと思った。ところが、である。内側からかけた鍵が開かない。ガチャガチャやっても開く様子はなく、何か引っかかっているっぽかった。窓は格子がはめられていて出られず、15分くらい格闘したが開かない。仕方なく宿の電話番号に電話すると、スタッフを向かわせるとのこと。しかし電話を切ってすぐに自力で開くという。何なんだ一体…。

 


もう間に合わないので、ボダを使う。大通りなのであっけなく到着する。歩いたら40分、バイクなら15分。雨が降る中、事務所前で待っていると、PRiDeという稲作普及プロジェクトのHさんが迎えに来てくれた。カンパラから40分ほど離れたナムロンゲという地域に向かう。

 


到着すると、自己紹介やドミトリーの手続きを済ませて、国際協力とは何かについて技術者やチーフの話を伺った。ODANGONPOいろんな組織が政治的なあるいは経済的それぞれ枠組みの中で、協力活動を行なっているわけだが、時には自分の思った支援ではなかったりすることも多々ある。お話の後に、種子用稲を今シーズン(ウガンダは四季でなく乾季雨季が基準)田植えするというので参加させてもらう。昔ながらの方法で、30センチおきに木枝を立て、端っこの人がロープを貼りながら5人程度が一列になって印ごとに手植えしていく。人差し指と中指の間に根の付け根を置き、親指で挟み、二本の指を泥に突っ込み、すっと抜く。簡単なようで難しいが、田植えはやはり楽しい。根が伸び始めるのは2日後かららしいので、それまで倒れぬよう、長すぎる葉はちょん切っても構わないというのには驚いた。

 


1時間半ほど参加した後、昼ごはんで食堂に。JICAの施設は食堂もドミトリーもあるのだ。朝から何も食べていなかったので、炭水化物多めにローカル飯を頂く。

 


午後は説明を受けながら、採取用の稲刈りを手伝ったり、JICA職員の方の研修発表を聞いたりした。この世の中の職業は役割分担だなと思った。

 


18時ごろに部屋に戻る。私は何も持っていないので、K大学から研究に来ている院生の人が、私の分も自炊してくれるというので、図々しいながらお言葉に甘えた。

 


田植えでドロドロになったのでシャワーを浴びた。10日ぶりくらいのお湯シャワー。お湯が出るなんて素敵すぎる。日本に帰って一番したいことは、湯船に浸かることである。

 


その後院生のドミトリーにお邪魔し、うどんやお好み焼きや、ワラジというサトウキビからできたウガンダの酒をマンゴージュースで割ったりを頂いた。大学のことや、国際協力やトビタテについて話した。協力隊は人材育成か…。シニアで参加ってアリかな…とか考えてみる。

 


22時過ぎて夜も更けり、酒もまわってきた頃自室に戻った。プラグが壊れ、充電が自室でできなかったのがネックだが。

 

f:id:N5-phage:20190921183557j:image
f:id:N5-phage:20190921183554j:image
f:id:N5-phage:20190921183550j:image
f:id:N5-phage:20190921183547j:image

Uganda Day99

8時半にピックアップしてもらって、一度NGOの事務所に寄る予定だったのだが、Sさんから車のバッテリーが壊れたとの連絡が。宿の一階で待たせてもらうことに。コーヒーとアフリカティーはセルフだったので2杯も飲んでしまった。直ったとの連絡で外に出ると、またすぐにやっぱりダメとのコール。この1週間で顔なじみにになった隣のレストランの前にいるおっちゃんと話し込んで、時間を潰した。メカニックを呼んで一応直ったみたいでピックアップしてもらった。

 


今日は中年のウガンダ人獣医師との打ち合わせがあるというので、彼を迎えに行くついでに、私の帰りのバスチケットを予約しようとバスオフィスへ寄る。ところがちょうど良い時間のものがなく、夜中か夕方発のものばかりだったので、現地スタッフが大通りを通る、1日何本もあるバスを留めた方がいい、となった。そうして、獣医さんを迎え、いざオフィスに戻ろうとした矢先、またバッテリートラブルである。みかねたSさんが、今日はもうこのままバスに乗ったほうがいい、じゃないと明るいうちにカンパラにつけない、とご教示して頂いた。今なら大通りにも近く、バスをとめて乗り込むだけだ。予定通りにはいかない、唐突の別れ。うーん、いかにもアフリカらしい。スタッフとSさんが、私のバスが出発してくれるまで、見送ってくれた。

 

 

 

バスの中は混んでいた。18kgのバックパックを抱えながらでは、うまく身動きがとれない。3人がけ通路側の席で、真ん中のおっちゃんは堂々とはみ出すし、こんなに密度高いのに、窓側の人たちはあまり窓を開けようとしないし、鶏を連れ込んでいる人もいて終始足元でコケコケいっている。アフリカの人たちは長袖や厚手のジャケットを着ている人も見られ、寒がりなのかもしれないと思った。おっちゃんによっては炎天下の下、ニット帽の人もいるのだ。

 


朝10時半に立ったバスは夕方16時半頃カンパラに着いた。6時間ただひたすら我慢し、窓からジュースやローカルフードを勧めてくる売り子たちを無視し、息がつまるほどの密室からようやく解放された。バスターミナルでは早速ボダの兄ちゃんに話しかけられる。今日の宿までの行き方を頼りにしていたのだ。ちょっと場所を知らない様子だったが、とりあえず近くまで行ってもらって、そこから、(別に頼んでないんだけど)彼が周辺の人に聞きまくり、なんとか宿を見つけられたが、まだ道路は舗装されておらず、有刺鉄線で囲まれて、鍵も厳重なので、このエリアが治安はそうよくないことが分かる。ボダの兄ちゃんは頑張ったんだから値上げしろと言ってきたが、断った。

 


宿に入って、チェックインして暫し休憩した後、朝から何も食べておらず、さすがにお腹減ったと思い、モールのスーパーに行くことに。最初はモールが近くにあるとは知らず、3キロ先の所へ行こうとしていたのでボダにに乗ると、意外にも近くにあった。モールはケンタッキーなども入っていて、観光客やビジネスを含めた外国人が多かった。お惣菜やお菓子を購入し、早く食べたい一心で宿に帰った。ピラフとマトケのトマト煮。

 


午後はそう遅くない時間に就寝した。

 

f:id:N5-phage:20190921183313j:image
f:id:N5-phage:20190921183323j:image
f:id:N5-phage:20190921183320j:image
f:id:N5-phage:20190921183317j:image
f:id:N5-phage:20190921183326j:image

Uganda Day98

8時半に迎えにきてもらう。明後日訪問予定だった、グル一番の大きな酪農家のもとへ、今日の午前中訪問させてもらうことになった。この酪農家はグル市内のエチオピア料理店の前に独自の小売店をつい最近オープンしたばかりだという。かなりやり手婆である。

 


到着するなり大きな門。Gulu Dairyとしっかり書かれていて、日本や欧州の酪農場と相違ない。ただ、アフリカの景色にフリーストール牛舎、ホルスタインという異様な光景。牛舎の奥にはデントコーンば畑が広がっていて、数人が農作業していた。エントランス的な所に通され、壁には栄養や繁殖など酪農技術のポイントが英語で書かれたポスターがいくつも貼ってあった。オーナーはトニーという名前の若いウガンダ人で獣医師免許も持っているらしい。一番気になるのはどうやってこんな立派な施設とトラクターなどの機械が持てたのか?彼はクラウドファンディングで集めたと言っていた。(後になって、本当はアメリカ資本も入っていたことを知る。)搾乳もミルカーで行い、バルクもあるし、バルクからそのままヨーグルト製造や牛乳のパッキングが行える設備まで整っていた。餌はほぼほぼコーンサイレージで少々のそこらへんの草、ケニアから輸入したルーサンである。日量25kg前後搾れると言っていたので、かなり成功しているのだろう。ウガンダは1リットルあたり1200Ush(約30円)でこれはアメリカの乳価とほぼ同じである。GDPや他の農産物の価格が低い中、牛乳の価値は高い。ただ、どの位国内需要があるのか私にはわからない。トニーは誇らしげに牛舎や施設を案内してくれた。帰りに自社製品のヨーグルトを頂いたが、普通に美味しい、というかフレーバーの味である。トニー曰く、牛乳の販売は勝手にしていいけど、ヨーグルトなどの乳加工品の販売は政府への登録と納税が必要らしい。

 


うーん、カルチャーショック。勿論まだ伸びしろはあるが、ほぼ他国の酪農と変わらない。昨日私が見たのは何十年前にタイムスリップしたレベルだったのに。同じ国とは思えないこの違い。ただ、一般農家がこのレベルに持っていくのは非常に難しいし、何よりそんな金はない。牛個体の返済だって危ういのに。日本も戦後の酪農を導入した頃そうだっただろうが、政府からかなり補助金開拓使的な人たちを募ったはずである。やはり初期投資がかなりのハードルか。ただ、将来的にこういう農場がポコポコ建って、農家の所得向上、牛乳の国内需要への供給、近隣国への輸出、これが目標なのだろうか?アフリカの農業ポテンシャルはかなり高いことがわかったが、最終的には、世界はどうなっていくんだろう…。

 


車でそんなことを考えながら、今日の昼食はド、ローカルな大衆食堂へ連れて行ってくれるそうで。外観には一応レストランとあるが

キッチンは外にガスボンベ小がいくつかあり、鍋がドンと置かれてコトコト言っている。非常に良い。こういうのは大好きだ。中に入ると、手書きのメニューが一応あったが、メニューなんてあってないようなもので、今日はこれだからみたいな感じ。ほぼ2000シリング。安い。おかずはシムシムと呼ばれるいわゆるゴマか、オクラのどちらか。そういえばコンサルのOさんが、ウガンダではシムシムを作ってない男は甲斐性なしと言われるほど、栄養価が高く、比較的高価な作物であるらしい。主食はまあいえば何でも出てくるみたいだが、私は米だけにしておいた。他にもマトケ、キャッサバ、ポショ、スイートポテト、じゃがいもとかある。シムシムはどうやって作ったのかわからないが、おから炒めみたいな感じでご飯が進んだ。ウガンダのご飯は美味しい。というかヨーロッパよりアジア寄りなのが嬉しい。

 


午後はタバコを作っている(勿論牛もやっている)というおっちゃんの元へ。午前中のモヤモヤ感を吹き飛ばしてくれる、元気なおっちゃんだった。全て手作業で作られた畑には、本当に様々な作物が植わっており、おっちゃんはその全てにおいて熟知している。これは甘いバナナ、あっちはマトケ用。つい最近コーヒーを植えたんだ。タバコは先週収穫しちゃって今干してるよ。あぁ、あの木は雄木でね雌木の実はたべれるけど、これは葉を家の屋根にして使うよ。あ、あっちは…。説明が止まらないが、おっちゃんは楽しそうだった。バナナ一房(といっても大量)をもぎ取り、あんたにあげるよと。いやぁ、ありがたいんだけど荷物になるなぁ。ちなみに緑のバナナを食べたところ、激渋でまるで渋柿のようであるので食べない方がいい。でも彼は自分の作っているものに誇りを持っていて、小さいが工夫して土地の生産性を上げ、何より楽しそうだった。そんな姿を見て嬉しくなった。と、ここでおっちゃんが干してあるタバコの葉を手で荒くちぎり、ノートの紙の端切れを持ってきてそこに砕いた葉を入れ巻き始めた。財団のSさんに吸ってみなよと勧めていた。私は吸わなかったが、煙からしてかなり濃そう。というかダイレクト。フィルターもないし。葉巻はこのタバコの葉を丸めたものだと初めて知る。

 


雲行きが怪しくなり雨が降り始めた。最後に、このプロジェクトの事務所兼ヨーグルトの販売所になるであろう建物を見せてもらった。今は家具も無くがらんとしているが、第2フェーズのプロジェクトが始まったらここが拠点になるそうだ。

 


今日はグル最後なので、Sさんと夕ご飯をご一緒させて頂くことに。一度宿に帰ってから迎えにきてもらい、彼の行きつけのカフェに行く。野菜カレーを注文したが、熱すぎて口の中を一瞬でヤケドする…。NGOに入った経緯からこの業界のこと、アフリカの動物たちの話など色んな話をした。その後また宿まで送ってもらった。

 

f:id:N5-phage:20190921181530j:image
f:id:N5-phage:20190921181539j:image
f:id:N5-phage:20190921181543j:image
f:id:N5-phage:20190921181525j:image
f:id:N5-phage:20190921181522j:image
f:id:N5-phage:20190921181547j:image
f:id:N5-phage:20190921181536j:image

Uganda Day97

さて今日から2日間、国際協力財団さんに酪農プロジェクトの視察でお世話になることになっている。約束の時間前に水シャワーを浴び、ペットボトルの水を買いに行った。

 


8時半にSさんが車で迎えにきてくれた。現在家兼事務所となっているそうで、その建物に向かう。到着すると、プロジェクトに関わる畜産関係の大卒ウガンダ人2人と挨拶をし、Sさんから概要の説明を受ける。

 


プロジェクトはアメリカの酪農NPOと合同になって、農家へ乳用牛の貸付を行い、牛乳販売による所得向上を目的とするもの。第2フェーズでは、農家から組合を作り、ヨーグルト販売まで行う予定だという。返済が進まないとか、農家の生活面や農業以外の知識向上、ECFや心水症などのダニによる病気、AIの遅れ、乳量低下、モチベーションの低下、栄養価の向上などなどやることは山積みだという。

 


ミルカーも設備も乏しい場所で、一頭から手絞りし、マーケティングまで持っていくこと。農家間の距離が離れているかつ、道路が道なき道なので集積するのは難しい。AIはなんとプロジェクトスタッフがボンベを背中に背負い、バイクで向かうとのこと。たくましすぎる!NPOなどのパンフレットを見せてもらっていると、バケットを2つ自転車に積み、運ぶ男性の写真が。そうですよね、原点はここからですよね。

 


午前中は打ち合わせや資料作りなどだった。お昼はローカルレストランに連れて行ってもらった。ヤギのスープと米とマトケ(バナナ)。アフリカのご飯は基本、おかず1つプラスてんこ盛りの炭水化物である。米、マトケ、ポショ(トウモロコシ)、キャッサバ、スイートポテトなどなど。オールフードというと、炭水化物全部が付いてくる。これはお腹いっぱいになる。ヤギは思っているほど臭みはなく、むしろラムより食べやすいと思った。

 


午後から農家の視察。第1フェーズで貸付を行った農家を訪れ、あれこれ質問や最近どうなどの話をした。多分、私のためにセッティングして頂いた部分もあったのだろう、本当にありがたいことである。牛舎はそこらへんの木で作られた手作り感溢れるものだが、良くできている。一頭プラス生まれた子牛が大きくなって、今育成牛といった感じのところが多くて、餌もそこらへんの草をバックに一日2袋分くらい詰め込んで持ってきているという感じ。かなり小さいフリージアンである。フリージアンはダニに噛まれやすく、ECFや心水症の抵抗性がないので、放牧は出来ず舎内飼いにしてくれと指導しているらしいが、農家はゼブ牛っぽいローカルの牛と同じように放牧してしまうことも多く、死亡もあるらしい。本当に私個人の意見だが、このような体制ではフリージアンは土地にあってないと思う。草も暖地型だし、そもそも強くない。それよりは現地牛の繁殖成績を上げ、そっちから絞った方がいいのでは…と思ったり思わなかったり。搾らしてくれないのだろうか。アンコーレらしき牛が放牧されていて見に行くと、本物よりも多少小さいものの立派な角、綺麗な柄の皮だった。一緒に写真を撮ろうと試みるも、シャイで逃げられてしまった…。

 


もう一軒は元気なおばちゃんが仕切っていて、将来的に何頭欲しいかとか聞くと3頭でいいとの返事。まぁ、そうだよね。手絞りだし、集乳の技術はまだ普及していないし。

 


そしてもう一軒。ここはなんと、牛の糞を貯めてメタンを発生させ、地下をパイプが通っていてガスが家まで送れるというミニバイオガスプラントが一般家庭にあるという驚き。究極のエコ。これでクッキングするんだよと農夫のおっちゃんがデモを見せてくれた。そして飼料作物でラブラブビーンを育てていた。こちらはまるきり暖地型だもんなぁ。

 


ざっと三軒訪問させてもらったが、ひと昔前に戻ったかのような自給的農業である。ここから組合を作ってミルクを集め、ヨーグルトを作るのか…。日本では農協や既存のシステム、流通、ルールがあるのが当たり前になってしまったが、そういうのができる前はこんな感じだったんだと思う。日本の農業史について勉強したいなと思った。

 


見学が終わった後、宿まで送ってもらい、夕食を買いにスーパーへ出かけた。特にいいものがなかったのでバナナチップとモンスターを買って、いつものロレックスを一枚買って、夕食とした。モンスターを飲んだら全然寝れなくて困った。

 

f:id:N5-phage:20190920092829j:image
f:id:N5-phage:20190920092859j:image
f:id:N5-phage:20190920092854j:image
f:id:N5-phage:20190920092826j:image
f:id:N5-phage:20190920092849j:image
f:id:N5-phage:20190920092834j:image
f:id:N5-phage:20190920092839j:image
f:id:N5-phage:20190920092842j:image

Uganda Day96

今日は本当に何もやっていない。雨だったし、部屋から夕ご飯の時以外出なかった。色々考えたり、うつらうつらしたり、あっちゃんのyoutube大学を見たりして過ごした。ということで、今日はマインドリセットの日だった。

 

f:id:N5-phage:20190910050259j:image

Uganda Day95

蚊によって寝れなかった。そしてきっとどこか刺された気がする。こいつがマラリアキャリアじゃないことを祈るばかりである。昼まで起きたり寝たりを繰り返し、11時過ぎに、昼でも食べにいくかと決心し外に出る。私の部屋の隣に日本人の男性が泊まっていると話は聞いていたものの、会うことなかったが、ついに鉢合わせた。彼は京大生でNGOインターンで半年ほどグルにいるらしい。せっかくなので、お昼一緒に食べに行こうということになった。

 


紹介してもらったローカルレストランに彷徨いながら歩いて向かっていると、急に土砂降りになった。サンダルはドロドロ。おまけに店は土日休みだと、掘っ立て小屋のおっちゃんに聞いてガッカリ。連れ回してごめんなさいという感じ。というわけで彼の知っている店へ行くことに。食べながら話していると、彼の所属するとNGOは裁縫や家具作りなどの職業訓練をしていて、今日は親がそこに通っているという子供達がダンスの練習をしているというので見に行くことに。そこまでボダ3人乗り…。

 


建物に入ると、太鼓と子供達の歌が耳に入ってきた。アフリカらしい、女性は骨盤外れるんじゃないか踊りだった。迫力がある。元気になる。そういう踊り。ここにいる子供達の何人かは元少年兵らしい。踊ることが誇りであり、勇気を与えてくれるものだという。子供達は笑顔で迎えてくれ、案の定、踊りに参加することになる…。ムリである。男子と女子で振り付けは違うのだが、腰を激しく振るパートは女子だけ。教えられながら、小さい子に笑われながら、なんだか一人だけどじょうすくいである。組んで踊ってくれた男子に感謝しかない…。一曲踊ると、また雨が降り出し、今日はここまでらしい。あまり沢山見れなかったのは残念だったが、雨が止むまで待ち、再び街へ戻った。

 


夕ご飯まで自由に過ごし、再び隣人の彼にローカルレストランを教えてもらう。宿のすぐ隣で、値段はちと高いがビュッフェスタイルだった。炭水化物系がやたら多い。肉はブツ切り&骨つきなので大変であるが、味は美味しかった。ソーダに芋は腹がはち切れる…。

 


宿に戻り、あっちゃんのyou tube大学で原発とか憲法改正の授業を見ながら寝た。

 

f:id:N5-phage:20190910045843j:image
f:id:N5-phage:20190910045848j:image
f:id:N5-phage:20190910045833j:image
f:id:N5-phage:20190910045828j:image